土門拳写真展「心」-古寺巡礼第四集より- (写大ギャラリー) [01月31日(月)~03月21日(月)]

  • 中尊寺大日如来坐像(一字金輪)面相
  • 臼杵石仏群古園宝生如来坐像頭部
  • 嵯峨野石仏群大沢池阿弥陀如来坐像二躰

そろそろ『古寺巡礼』第四集の編集にとりかかろうとしていた矢先、ぼくは脳溢血再発のために倒れてしまった。昭和四十三年六月のことである。」古寺巡礼第四集の巻頭に出てくる文章である。土門は古寺巡礼の三集の編集を終えた直後に脳溢血再発で闘病生活を二年間の長きに亘り強いられた。その間第四集のことが頭から離れずつらいリハビリも精神力で乗り切った。第四集には「情緒的にあるいは懐古的に被写体と接したことはない。」と語られ、それまでの古寺巡礼は強い信念に支えられて作品を制作してきた。それは対象を客観的に捉える態度であった。

飛鳥から始め、奈良、平安を経て、鎌倉、室町、桃山に至る全五集の中で、第四集は平安時代から鎌倉時代にいたる石塔、石仏を多く収録している。「それらの石塔、石仏はおおらかで、そしてやさしい。ぼくの心を一番ゆさぶるものたちである。」としたためている。それらの石仏の「前に立ってしばらくその顔を眺めていると、にっこりとぼくに微笑みかけてくる。ほのぼのとした笑みである。

また「あるとき娘の真魚が撮影についてきたことがある。撮影に熱中していた顔を上げると,この真魚が椿を飾って手を合わせているではないか。その後姿はおよそ東京の娘には見えず、またその二尊仏に添えられた花も村の娘がお供えしたように素朴であった。日頃絶対非演出を唱えているぼくも、このときばかりはそのままシャッターを切ったのである。」とある。

今回は第四集より「土門の心にみえた仏像」に注目して写真展を構成しました。どうぞご高覧ください。

土門 拳 (どもん けん)

1909年山形県生まれ。中学時代より画家を志すが、家の事情で断念。1933年に営業写真館である宮内幸太郎写真場の内弟子となるが、報道写真家 を目指し、34年にはドイツから帰国した名取洋之助の設立した日本工房に入社し、対外宣伝誌『NIPPON』で数多くの撮影を手がける。戦後は絶対非演出 の「リアリズム写真」をカメラ雑誌などで提唱し、多くの写真家に影響を与えた。1958年『ヒロシマ』で国内外で高い評価を得、筑豊炭鉱地帯の悲惨な状況 を取材した1960年出版の『筑豊のこどもたち』は10万部を超えるベストセラーとなる。その後、仏像や寺院、古陶磁などの伝統工芸品や風景など、一貫し て日本の美を撮り続けた。
1979年に脳血栓を起こして昏睡状態となり、その後目覚める事なく1990年に心不全のため死去。

「古寺巡礼」(こじ じゅんれい)

土門拳の晩年のライフワークといえる日本各地の古い寺院や仏像などを撮影した作品。1963年に第一集が完成し、第二集1965年、第三集1968 年、第四集1971年、第五集が1975年に出版され、全五冊にて完結した。 法隆寺から始まり、三十三間堂の撮影をもって終了した約15年間の撮影で訪れた寺院は39ヶ所を数え、テキストもすべて土門自身が書き下ろした。