SEINO Exhibition ? 鮮やかな幽体展 ? (学生個展 1/27~2/1)

道端に存在する鮮やかなる死者の幽体。残された人は何故そこに花を供えるのか。

【会期】
2014年1月27日(月)~2月1日(土)
11:30-19:00(最終日は17:00まで)

【会場】
ギャラリー檜B
東京都中央区京橋3-9-9 ウィンド京橋ビル2F

【発表者】
SEINO(大学院芸術学部研究科メディアアート専攻 博士後期課程)

【発表作品】
インスタレーション(ギャラリー内・銀座界隈の路上3箇所/展覧会会期中)・
路上パフォーマンス(東京都中央区湊2丁目区道交差点/2014年2月1日(土)午後2時から)・写真・映像

【アーティストトーク】
ギャラリー檜B/2014年2月1日(土)午後3時から
紹介文
 2005年埼玉県白岡市を車で走行中、対向車線でオートバイとワンボックスカーの交通事故を目撃した。パトカーと救急車は既に到着していたが、オートバイの運転手はヘルメットを装着したまま、大量の血を流し道路に伏せていた。私は、その時先を急いだが、何日か経過し彼の安否が気になり、もう一度用もないその場を訪れた。そこには彼の死を意味する鮮やかな花が供えられていた。

 人は、魂の核である『御魂』、それを包む『霊体』、そして現世での魂の衣に当たる『幽体』、そして『肉体』の4つから構成され、死亡とともに『御魂』と『霊体』が身体から抜け出し、一生が終わる。そして『幽体』、『肉体』は時間とともに朽ち果て、或は火葬され消滅する。しかし、死亡の原因により、この世に強い執着心や未練があった場合、残された『幽体』が自然消滅せず、いわゆる幽霊となることがある。

 交通事故の死者に花を手向ける供養が道端に続く時間は、近親者が犠牲者の死を受け入れがたい時間におおよそ等しい。『肉体』は焼かれ消滅したとしても、不慮の事故による死者に対し、生花を供えることは、まだその場に漂う死者の『幽体』に、生きている花のカタチを借り『御魂』『霊体』『肉体』を与える行為に感じる。そして、その花が処分され、或は忘れ去られ枯れ果てるまで、その死者の幽体は道端に鮮やかに存在する。私達は、死者の生への未練を感じる鮮やかな幽体を目にした瞬間、無防備な日常からヒトの死という「超現実」に突然吸い込まれるのである。

 さて、どうしてヒトは死者に花を手向けるのだろうか。供花と向き合うことは、それに宿る『幽体』、つまり死者と向き合うことであり、花の持つ強靭な生命力が生の象徴とされ、私達は故人の「輪廻」や「生まれ変わり」、「新しい生命や再生」を願うのではないだろうか。死者の存在が大きければ大きい程、亡くなり方が突然であればある程、残された私達は周囲を厳かに飾り、花の生に故人の生を重ね、喪失感から解放されるのである。

 一方、少々不可思議な点もある。交通事故現場、葬儀の祭壇、墓、仏壇、全ての供花や供物は、本来死者への鎮魂の意味で捧げられているが、死者の側から見ると全て裏側、つまり私達は無意識のうちに自分の方へ向け、奇麗に並べているのである。現世を生きる私達が出来るお勤めとして、故人の周囲を整え、供花や供物を捧げ、冥福を祈ることは、「五感で故人の大切さを確認出来、己の悲しみを慰める唯一の手段」なのかもしれない。本展覧会では、写真・映像・インスタレーション・パフォーマンスを媒体とし、交通死亡事故現場に残された鮮やかな幽体を表現することで、ヒトの生の在り方に向き合う。