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2017.6.19

《土門拳賞受賞》写真家・梁丞佑さん「なぜ東京工芸大へ?」【前編】

土門拳賞受賞記念インタビュー(前半)
インタビュアー:東京工芸大学芸術学部長・吉野弘章写真学科教授

卒業生の写真家・梁丞佑(ヤン・スンウー)さんが、第36回土門拳賞を受賞しました!この賞は日本を代表する写真家のひとりである土門拳さんの業績をたたえ、「毎日新聞社」が1981年に設立した国内有数の写真賞です。受賞を記念して、大学生活から受賞するまでの歩み、作品についておうかがいしました。対談者は、芸術学部長の吉野弘章写真学科教授です。

梁丞佑(ヤン・スンウー)写真家

1966年、韓国生まれ。1996年に来日。2000年日本写真芸術専門学校卒業。2004年東京工芸大学芸術学部写真学科卒業。2006年同大学院芸術学研究科メディアアート専攻修了。
著書に『君はあっちがわ僕はこっちがわ』(新風舍)、『君はあっちがわ僕はこっちがわ2』(禅フォトギャラリー)、『青春吉日』(禅フォトギャラリー)がある。

30歳で来日するまで、写真のことは知らなかった

吉野弘章教授(以下吉野):本当にすばらしい賞を受賞おめでとうございます! 今回の件は、本学の関係者もとても喜んでいます。昭和の日本を代表する巨匠である土門拳さんは、本学の教育のために、オリジナルプリントを1,200点寄贈していただいたこともあり、実はとても関係が非常に深いんです。けれど、この賞は今まで一度も卒業生が受賞したことはなかったので、そういう意味でも、本当に嬉しいです。

梁丞佑さん(以下梁):ありがとうございます。僕も学生時代から、いつかとりたいと思っていたので、受賞の連絡をもらってから、眠れなくなってしまいました。ひとりで布団の中で笑ったりして。でも、推薦されていたことさえ、知らなかったです(笑)。

吉野:突然、連絡があったということですか? 前もって、資料として写真集を出してくださいとか、そういうのもなく?

梁:本当に突然でした。電話をもらった時は、徹夜の仕事の後だったんです。遅い朝ごはんを食べて、寝ようとしたら、電話が鳴ったんですよ。普段なら、疲れているから出ないんです。でも、その日はなんとなく出てみたら、「毎日新聞」の誰々ですと言われて、「毎日新聞」が僕に何の用だ?何もやってないんだけど、と思いながら話を聞いたら、今年の「土門拳賞」に決まりました、という連絡だったんです。

吉野:写真を始めたきっかけを教えていただきたいのですが、その前に、まずなぜ韓国から日本へ来てみようと思ったのですか? 

梁:30歳の時に日本に来るまで、写真のことは全然知らなかったんです。韓国にいた時は、田舎でヤンキーみたいなことをしていたんですが、どうもおもしろくなくって。友だちはヤクザになっていたりしたんですけども、そういうことにはあまり興味がなかった。ある日、ソウルから高速に乗ってドライブして、車を飛ばしたら、釜山まで3時間ちょっとで着いちゃった。それ以上道がないんですよ。それで、一番近い国に行ってみようと思って、日本へ行ってみたんです。

吉野:自分の住んでいる世界は狭いから、外国に行ってみよう、と?

梁:そうですね。でも、行ってみたら、東京の街並みはソウルと変わりませんでした。なんだこれ、と思ったのですが、一歩中へ入ると、すごいおもしろかった。たまたま新宿のゴールデン街へ行ってみたんですけど、あんな狭いところで、知らない人と肩をぶつけあって、楽しく飲むのが、不思議で不思議でたまらなかった。韓国だと、絶対に喧嘩になりますからね。肩ぶつかると、すぐなんだコノヤロー(笑)! もちろん、今は変わったと思いますけど。

写真を始めたのは、日本で居場所がなかったから

吉野:来日してからは、どう過ごしていたのですか?

梁:最初は日本語学校に行きました。日本語が話せないから。

吉野:それは日本語を覚えてから、日本で仕事しようと思って? 

梁:居場所がなかったんです。日本語学校が終わって、進学しないと、ビザが更新できない。だから、どこでも良かった。それがたまたま写真でした。

吉野:でも、デザイン学校でも、料理でも良かった、という訳でもないですよね?

梁:映画がすごく好きだったんですが、映画はチームでやらないとダメ。写真は、撮るときも選ぶのも、どれもひとりでできる。それで、写真の専門学校に行ってみることにしました。

吉野:大学に入る前に、専門学校に通っていたんですね?

梁:そうですね。今まで勉強なんかしたことなかったのですが、生まれて初めて勉強しました。その頃、韓国にいる時によく一緒にいた仲間がひとり死んだんです。 その友だちの顔が見たくて、写真を探してみたんですけど、1枚もなかった。大事な仲間だったのに。それで、自分のまわりを夢中で撮りはじめたことも大きかったですね。

吉野:そのことがきっかけで、もっとちゃんと写真を撮らなきゃと思ったんですね。でも、専門学校を出たらもう十分という人もいるなかで、どうして大学へ?

梁:好きなものをやっと見つけたから。もっと勉強したいと思って東京工芸大学に入学しました。

面接にはスーツではなく、うっかりダウンを着て参加

吉野:東京工芸大学を選んだ理由は?

梁:当時、デジタルカメラはあまり性能が良くなかったので、フィルムで撮って、スキャンして、レタッチをするというような手法が主流でしたよね。どこの学校へ行こうかと考えたときに東京工芸大学写真学科のカリキュラムを見たら、そういったデジタル写真制作の授業がちゃんとあって、暗室もしっかりしていたからです。

吉野:とてもまじめな理由ですね。デジタルとアナログが両方あるから、ということですよね。面接を受けた時の先生のことは覚えていますか?

梁:ええ、覚えています。僕ね、面接の時の服装がラフだったので、落ちたな?と思ったんです。僕はダウンジャケットを着ていたんですけども、まわりのみんなはスーツを着ていて。

吉野:面接の時はそうですよね。高校の制服が多いですね。

梁:面接の直前に気がついて、ダウンじゃ失礼じゃないかと思って、脱いで入ったんですよ。そしたら、中に着ていたTシャツが、アメリカのプロレスラーの絵が描いてあって、×××という挑戦的な言葉が……。

吉野:面接向きではないですね(笑)。

梁:それを見て、大野先生におもしろいね、君。パンチ効いてるね、なんて言われて。だから、落ちたと思いましたよ。

吉野:でも、合格したということは、面接官もちゃんと見る目があったということですね。

金曜の夜に歌舞伎町へ。帰りは日曜の朝だった

吉野:大学入ってから、苦労したことや楽しかったことはありますか?

梁:楽しかったことばかりでしたね。あっ、レポート書くのは大変でした。でも、本当に楽しかった! 大学で良かった点は、申請を出せば、一晩中、暗室を使えることですね。

吉野:今もそうだけど。写真学科は4年生になると暗室やスタジオなどの制作室が24時間使えますからね。当時は、そこに住んでいるような学生もいたりしてね。

梁:僕も、2年ぐらい住んでいました(笑)。

吉野:暗室の横に準備をするような部屋があって、冷蔵庫や水道もあって、お湯も沸かせるから、お風呂だけたまに行けば生活できてしまう。やりたい人は、朝から晩までずっと学校にいて、とことんできる。そういうところが、うちの大学の良いところかもしれないですね。

梁:当時は、金曜の夜から歌舞伎町に出て、帰ってくるのが日曜の朝でした。2006年に『君はあっちがわ僕はこっちがわ』(新風社)という写真集を出しているんですが、それはその頃に撮った写真で、ホームレスの人たちのところに行って、一緒にダンボール敷いて、寝転がりながら撮っていました。だから、「あいつはいつもいるから」って、撮っていても何も言われませんでした。

吉野:実際に寝てみて、どうでしたか?

梁:いやー、気持ちよかったです。いいですよ、あれ。本当にホームレスになりたくなりました。学校の授業がなかったら、ホームレスになっちゃったかもしれない。

吉野:自由な感じがする?

梁:空がね、建物に囲まれて四角にしか見えないんです。缶ビールとか飲んで、社会の歯車から外れた感じで、本当に気持ちよかった。

吉野:そこで生活しているというか、撮影する現場に自分を投じて、一体化していたんですね。

(対談場所:東京工芸大学中野キャンパス B Cafe)
(後半へ続く)

インタビュアー:吉野弘章 写真学科教授東京工芸大学芸術学部長

1965年東京生まれ。東京工芸大学大学院芸術学研究科博士前期課程修了。1980年代より写真専門ギャラリーで写真展の企画や写真家のプロデュースなどを手がける。2003年に美術市場における写真に関する研究で日本写真協会新人賞、日本写真芸術学会賞を受賞。作品はプリンストン大学美術館などに収蔵。日本写真芸術学会理事。
現在は、土門拳や森山大道など国内外の著名作家のオリジナルプリントを一万点以上収蔵する東京工芸大学写大ギャラリーのディレクターも務める。